コーディネーター詳細

ギーノ

プロフィール

本名 [ギーノ] 荻野 佑眞 おぎのゆうま
出身地 東京都
誕生日年度 1995年度
学歴経歴 日大三高ー日本体育大学ースクールパートナー硬式野球部


皆さんはじめまして!
上達屋東京工房PC「パフォーマンス・コーディネーター」のギーノです。
私は小学四年生の時、上達屋に出会いました。
自分の動きを初めて動画やスローモーションで撮影してもらい、それを客観的に評価され、
その上達法を提案いただきました。
『野球が上手くなるための施設があったんだ・・』と感激したことをいまでも覚えています。

私にとって、野球を始めて間もないジュニアの頃から、パフォーマンスを向上させるための
理に適ったカラダの操り方を知ることができたのは幸運でした。おかげで、技能は飛躍的に向
上し、その後さまざまな大会で優勝を経験することもできました。

高校に進学したあとも、「クオ・メソッド」という身体操作術を磨く訓練法の中でも重要な
取り組みである”体操”を日課としていました。結果、甲子園出場、そして甲子園のマウン
ドに上がる夢も叶いました

ところが、大学に入り、大きな挫折を味わうことに・・。
入学直後のキャンプのバッティングピッチャーでストライクが入らない、四死球を連発。
イップスに陥りました。大学2年生の終わり頃には、外野野手に転向。
それでも『打者として一流になりたい』と気持ちを切り替え、あらためて上達屋の門を叩き
ます。

そして、ここでまた驚かされます。
コーディネートを受けていなかった数年間のブランクの間に、上達屋自身の理論やメソッドが進化
していたのです。メソッドは「操育プログラム」へと発展し、プロをはじめ多くの成功者を輩出す
る万人に共通の上達法が確立していました。
もしろん、私もイップスを克服できただけでなく、スローイングとバッティングのパフォーマンス
も急激に伸び、大学四年生の最後リーグ戦•関東大会優勝メンバー入りを果たすことに。

大学卒業後、プロ野球選手になる目標を実現するため、社会人野球に進みましたが、結局、その
目標を達成することはできませんでした。
現役を引退を決意。やりきった満足感の中、ふと頭の中に浮かんできたのが、苦しい時、上手く
なりたい時に寄り添ってくれた上達屋のパフォーマンスコーディネーターという職業でした。

「成果こそがなによりのおもてなし」。

ヒトのカラダの仕組みを誰よりも深く知り、その操り方を磨く方法を熟知している専門集団。
しかもそれだけではなく、どんなときも笑顔、そしてハッピーな気持ちにしてくれた上達屋
のパフォーマンス・コーディネーター。BOSS(手塚一志)はこう言います。

「この仕事は指導業にあらず。サービス業である」と。

今後は多くの選手に成果というプレゼントを贈り続ける仕事に就く。そして、多くの人に、
慣性力の快楽を味わい尽くしていただく・・・そう心に決めました。

ヒトは、上達の可能性を秘めています。その可能性を開花させるお手伝いができるのが、こ
の上達屋です。もし、自分ひとりの努力でこの上達法を探していたら、もしかすると千年掛
かっても見つからなかったかもしれない理論を、最短30分間の中に凝縮し、みなさんにお届
けできる幸運に感謝しています。

私ギーノに、なんなりと、ご相談・ご依頼、お待ちしています。

上達屋パフォーマンスコーディネーター  ギーノ